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B93ヘンゼル〜悪魔のパス〜

ヘンゼルとグレーテルの童話。子供の頃大好きだった。

壁も屋根もお菓子で出来た家にワクワクしたし、

捕まってしまったヘンゼルが知恵を出し、

グレーテルが勇敢に行動して魔女をやっつける描写に、 子供ながらにハラハラドキドキしたのを覚えてる。

どうやったらお菓子の家に住めるんだろうって、

ずっと妄想していた空想少女だった。笑

オーラソーマの世界を知って、

ヘンゼルとグレーテルの名前がついたボトルと出会い、

小さい頃に夢中になっていたお話の世界が色鮮やかに蘇った。





それにしても、

大人になってから昔話やグリム童話などを読み返してみると 理不尽な展開が多い。

ヘンゼルとグレーテルのお話も、 悪い魔女をやっつける勇敢な子供たちが描かれているけれど、

最後には魔女のお婆さんをカマドに蹴り倒してしまうんだから。 子どもって残酷だ。

これ、魔女目線で語ってみたら、こんな感じ?? 静かな森の中で、自由に穏やかに余生を暮らしていたところに、突然! 腹を空かせた礼儀知らずの子供たちがやってきて、

家を荒らし(食べちゃう)やりたい放題した挙句、

一宿一飯の恩義のために働かせようとしていたら・・・

うっかりかまどに投げ込まれて死んでしまう(泣)


魔女のおばあさんが不憫に思えてならない。 物語では語られないけれど、 (ここから店主の勝手な妄想です)

もしかしたら!? 魔女のおばあさんにも家族がいたかもしれないのに。

もしかしたら!? その日はずっと帰りを待ちわびていた大好きな恋人との大切な記念日だったかもしれない。

ささやかな祝宴のために(妄想していただけで独りぼっちだったかもしれないけれど)

用意していたお菓子の家やご馳走を、

突然襲ってきた強盗(子供たち)に荒らされて、

逃げ出すこともできずに内心はビクビクしながら、 どうにか状況を変えようとしていたのかもしれない。


どの視点で物事を捉えるかによって 感じ方も、解釈の仕方もまったく違うものになる。


このボトルの上層は、ペールコーラル。 コーラルには「報われない愛」というテーマがある。

「わたしは与えているのに、愛されない!」という思い。

それって、裏を返せば、 「与え続けているのだから、愛されて当然でしょう?」

もしくは、

「それ相応の対価を頂いて当然!」といった

ご都合主義な期待から生まれてくるもの。

他人に期待してしまうから生まれる苦しみなんだよね。 はい、私も「報われない愛」に苦しんでいた一人。

だからこそ、いつもコンサルで口酸っぱく言ってしまう。

他人に期待してはいけません! わたしはわたし、他人は他人なのです。 自分で自分自身に

「被害者だ」というレッテルを貼っていれば、 被害者目線の物語でしか人生を見ることしかできないでしょう。



この世界は、完全超悪なドラマで出来ているように 巧みに仕組まれている。

正義と悪、正解と不正解。

男性社会、女性社会。

陰と陽、白と黒。

答えはどちらか1つ??

本当に??


正解を求めることに躍起になり、

本質が見えてない人が多い気がする。



たった一つのミスを許せずに、いつまでも責め続ける人。


自分を正当化することだけにエネルギーを使い続ける人。

即座に被害者に成り下がることで、自己防衛を図ろうとする人。




過去の私もきっと被害者ズラして、

相手をギャンギャン責め立てていたに違いない。



白か黒か、正義か悪か?二極化の軸でしか物事を捉えられないと 苦しみのループからは一生這い上がれないように思う。 ヘンゼルとグレーテルのボトルの上層部はコーラル。

あたらしい時代へと自分をアップデートするために必要なエネルギーが 上層にあるコーラルのキリスト意識の目覚め。


キリスト意識の目覚めってなんだろう?ってずっとわからなかった。

たどり着いた私なりの答えは、

支配される側、奴隷側といった二極の視点から枠を超えていく、

ジャッジの視点や制限から自分を解放していくということだと思ってる。



外側にあるものは、感情も含めて、自分の内側にあるものの投影。

自己卑下や、自己欺瞞の檻から抜け出すことができない限り、

そういった状況を見せられ、経験させられるのだと思う。


抜け出せなければ、そのループが延々と続く。

外側のせいにして攻撃したり、批判する。

すぐに言い訳を作って殻に閉じこもる。


いつまでも被害者のまま、奴隷のままでいいのなら、

それを自分に課すと言うのなら、そのドラマを味わい続けるしかない。


ヘンゼルの対応タロットは悪魔のリターンジャーニー。



己の真の目で物事を見なさい!と

言わんばかりに、

見開かれた大きな目。



あなたは、この目を真っ直ぐ見れるだろうか?



変わらない選択をすること。


自分の都合よく解釈をして、


「今はタイミングではない」

「私のペースでいく」

「どうせ私なんて」


そういうセリフは悪魔的だとは思わないだろうか。



コーラルの「報われない愛」からの脱却、「キリスト意識の目覚め」が起こらない限り、

ターコイズの創造性の海には辿りつけないようになっている。


つまり、上と繋がれない。(上とは生命の木の上層部、真の自分、ハイヤーセルフ)


悪魔との訣別無くして、真のタイムラインを生きることは難しい。



私たちが両極に振られ、そのドラマから抜け出せた時(垂直に上に飛ぶ!)初めて、

ヘンゼルの下層にあるターコイズの世界、自由な創造性が発揮されるのだと思う。





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