
聖なる音を聴く〜第6チャクラ〜

感覚機能を停止したまま、何も感じないまま暮らしていったらどうなるでしょうか?
心と体の不調和は、じわじわと心身のバランスを崩してきます。

きっとポイントカード制のようなもので、
わかりやすく
「エマージェンシーだよ!」と
沢山のメッセージを送ってくるはず。
それすらも無視した結果、強制終了ボタンが押されるような出来事が起きてしまう。
そういったパターンを数々見せられてきました。
私自身も体の不調が発端で、自己探求の世界へと入っていくきっかけになりました。
体は本当に健気ですね。
そもそも、本来の自分自身へ戻るように軌道修正するような流れを呼んでしまうのも、
ロイヤルブルーの領域の司令塔としての役割のようです。
もちろん、そういった理不尽な出来事を経験することさえも、
大きな学びを得るための一つのシナリオとして決めているのは自分自身なのだと
最終的にはすべてを受け入れられる、大きな愛がレディナダのエネルギーです。
レディナダとは、ペールピンク/ペールピンクのボトルなのですが、なぜだか?ロイヤルブルーにも対応しているのです。
私自身、ずっとここの領域で激しく葛藤してきました。
「ロイヤルブルーと闘っている」そんな表現で何度もブログ記事を書いています。
それだけ、自分自身の感覚を信頼することに対して恐れがあったのだと思う。
感覚機能って、数値化したりして目に見えるものではないし、
マニュアルがあるものでもないです。
例え情報や知識を得たとしても、それは他人の体験を通したものでしかないから。
自分自身で体感し、習得していくしかない。
どんなに美味しいランチの店の情報を沢山知っていたとしても、
食べてみなくてはその美味しさは語れない。
アーティスト情報を知っていたとしても、
配信で聴くものと、ライブで体感する音は全く別物なように。
私たちは、体験すること、感じることで、自分のエッセンスを拾い集めて
「私」というアイデンティティを確立していく。
第6チャクラは、総合プロデューサーのようなもの。
ありのままの自分が、最も心地よく感じられる自分を演出するために。
もちろん、自分自身のことをよく知らなければ、まったく別物になってしまいます。
だからこそ、自分を知る学び、チャクラワークが有効なんだと思います。
ではもっと詳しく、第6チャクラ、ロイヤルブルーの領域、レディナダが教えてくれた導きを考察していきます。
ありのままの自分を受け入れる
第6チャクラは、サンスクリット語で「指揮」。つまり、第6チャクラが司る大きな要素となるのが、自分の人生の指揮を取ること。
感覚器官である第三の目、第六感を使って、自分と世界との関わりや、物事の真理を見ていく力、洞察力が要となってくる領域です。
感覚機能を最大限に活かすためには、自分の感覚に確信を持つこと。
それは、イコールまるごと自分を受け入れること。
恐れがあるから行動に起こせない、とよく言うけれど
でも行動しないままだと、何ひとつ習得できない。
行動して、自分だけの感覚機能を育てていく時間が必要なわけです。
行動して経験することは自分という器を確固たるものにしていく作業。
それを怠ったままでは、器は脆く壊れやすいままなわけです。
脆いままだから、いつまでも何かが自分には足りていない気がして、不足感から他人から得られるもの、賞賛や賛同、評価といったものを欲しがってしまうのだと思う。
だからこそ、自分の得意なところも不得手なところ、嫌なところもすべて、受け入れる覚悟が必要です。
自分のことを受け入れる
最終的に、これ以上も以下もない。
私、という存在を受け入れていく。
本質の部分、持って生まれてきたものは変えられないものだから。
意識的に努力して、思考やマインドセットを変えることは出来るだろうけれど、私は私以外の何者にもなれないわけです。
他者を羨んでみたり、他者になろうとしてしまったところで、ただただ苦しみが生まれるという構図。だから、自分を知る、ということは必須であるし、受け入れることを避けていては、ずっと苦しみの渦中にいることになるというわけです。

決着の時
ずっと「見えない世界って何?」という疑問を抱き続けて闘ってきました。
ここまできて、もはや、理解してもらうために、科学的に証明するとか、定義づけすること自体、不毛なのでは?という思いに至っています。
他人に説明する必要性を感じなくなりました。
私という存在を体感できるのは、今のところ私だけ。
なぜに説明しようとしていたのか?
ああ、自分のことを全否定していたからだと、ある日、ストンと腑に落ちた。
わたしが体感している「見えない世界」のことを言語化して説明をして、誰かを納得させたい、共感してほしいと思っていたのは、外側から理解と評価を得ることで結局は自分を納得させたかったんだな、と。
私の人生での最重要事項は、
この自分という存在を思いっきり体感すること。
それには、この不確かな見えない世界、ロイヤルブルーの感覚無くしては無理ゲーであることだけは紛れもない事実なわけですから。
誰かに評価や共感を得ようと努力するのは、めちゃくちゃロスタイム!って気がついたのでした(トホホですね( ; ; ))

わたしが感じている感覚を、マトリックスみたいに数値化して視覚化出来る世界が、いつか来るのだろうか。だとしても、おそらくもう肉体として存在していないでしょう。 同じ食材を渡して、同じ手順で料理してもらったとしても、
味や出来栄えが違ってくるように。
私たちは当たり前に、自分の見えない領域を使いこなしています。
それでいいじゃないか。
そんな風に、ある日突然にストンと腑に落ちました。
それが、私がロイヤルブルーの世界との闘いに降参した瞬間でした。
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