
【私的考察】心地よさ、感じてますか?
コンサルテーションの中で、エネルギーの循環の例えを
カップの例えでお話をしています。
私の説明不足で、誤解されている方もいるようなので
こちらにも記しておきたいと思います。
ガソリン切れでは車は走り出せないように、
私たちもエネルギー切れでは動けません。
私たちがカップだとして、
自分の器に穴が空いている状態ならば、それを自覚し、補修する。
そして、カップに水を満たす=エネルギーをたっぷり注ぐ。
つまり、自分に愛を注ぐこと。 わたしは、これこそがオーラソーマの要だと思ってます。
とはいえ、
カップに汚れた水が入ったままでは、
いくらキレイな水を注いでも汚れてしまいます。
カップの底にこびりついたヘドロは
過去の感情や、思い込み、執着しているもの・・・・。
そういったものは、吐き出してスッキリしたほうが
滞りも無くなるので、より純度の高いエネルギーが流れはじめます。 そんなお話をふまえて・・・ 「カップの中の古い淀んだ水(感情)を出し切らないうちに
エネルギー(好きなこととか)を与えてもいいのでしょうか?」
といったような質問がきました。
スタエフで私なりの回答をしています。
https://stand.fm/episodes/616f70a926ae8c0006b4cce4
元気が出ない状態を放置したまま、
過去のしがらみやら負の感情に向き合い続けるって
苦行以外の何ものでもないですよね。
もしかしたら!?
修行僧のような生き方がしたい!っていう方は
楽しいって思えるのかな?? うーーん、よくわからないです(苦笑)
そもそも、
すべてがクリアになることってあるのでしょうか?
凡人の私にはよくわかりません。
仏陀とか、キリストレベルだったらあるのかな??
ちょっと想像出来ないです。ごめんなさい。 ボトルを使っていると、 モヤモヤした感情が出てくることがあります。
ボトルは自分自身を映し出す鏡なので、
実際にボトルの中にモヤモヤしたものが浮上してきて
視覚的に見せてくれたりします。
そのモヤモヤが消えるまで、すべてクリアになるまで
自分自身に愛を注がないってこと???
・・・・私なら、 エネルギーが枯渇した状態のまま、
苦しい修行を続けることを望みません。
なぜって、すべて「心地よさ」が判断基準だから。
自分が心から楽しい、心地よいと感じることにしか興味がないんですよね。 大切なのは、自分が何を感じているのか、どうありたいか。 ではないでしょうか? 順番ややり方、マニュアル的な進め方にこだわっているのなら、
ちょっと思考優位になっているかもしれません。
考えるな、感じろ。
↑ここに尽きると思う。 もしも、辛いな、苦しいな、と感じるのなら
休息を取ることが優先かもしれません。
スピリチュアル的な学びって、
自分自身の内側を見続けることなので
根を詰めてやり続けると、
真面目な人ほど辛くなると思います。
そんな時は、ちょっとだけ
距離を置くことも必要かもしれませんね。
苦しいなら無理して続けることないです。
途中リタイヤをしたとして、責めることでもありませんから。
カップの水はエネルギー(自分への愛)です。 エネルギーは天から途切れることなく降り注いでいます。
これは一人一人、欠けることなく、誰にでも。
このことだけは、変わることはありません。 欲張りな私は、 せっかくなら、自分のカップから溢れるくらい、
余すことなく受け取りたい!(笑) そんな風にゲームを楽しむ感覚で続けてます。 自分の人生です。 好きに生きていいと思いませんか?
スタエフでは自由に飾らずに、私なりの考えを話してます。
よかったら参考にしてください。
https://stand.fm/channels/5f6538f4f04555115dd2e113
